ちがやのお茶の時間

日々の暮らしの何気ないことや気になることを綴ります。

超絶サイコパスのすごい奴から逃げてきた。某ブログを棒に振った私の顛末。

こんにちは、ちがやです。

 

今日は、時間があるので続けて記録をしています。

前回の続きです。

 

Aさん転職後2か月たった頃のことです。

ある日突然、Aさんは私と二人きりの職場で、自分の身の上話を始めました。

まだあって2か月なのに身の上話をする人。

今までも数人出会ったことがあります。

このイベント、私は意味のある出来事として捉えていました。

会って数日~1,2か月で、かなりディープな家庭環境の話をする人は、もうほぼ100%に近くその後の私とその方とのお付き合いの中で何らかの悪い出来事が起きるという私の経験則があります。

深刻な生い立ちや家庭環境は、本当に大変だと思うので私は同情してしまうのですが、「同情を引き出すこと」「共感されること」はダークトライアドさんにとっては、環境整備のような意味を含んでいるのだと思います。

「私を庇ってください。」「私って可哀そうだったけど、頑張ってここまでに成ったんです。」というメッセージが込められています。

Aさんの場合も、私は同情し、ここまでの人生に対して立派だなと感じましたが、上記の経験則のこともあり、その後も私の距離の取り方は変わりませんでした。

 

しかしながら、その頃から私とAさんの間には不思議なズレが出始めてきたのです。

管理者Dさんは、Aさんの入社を機会に、Aさんと私それぞれに担当プロジェクトを振り分けました。しかし、Aさんは私が担当しているプロジェクトに手を出し始めました。

その仕事の乗っ取り方が、あまりにも手早く自然であるため最初は、才女であり、関心の範囲が広く、どんどん吸収しているのだなという感覚でいたのですが、外部とのやり取りにしても彼女のペースでどんどん進んでいくのです。

そのため、彼女にそれは私の担当であることを伝えたのですが、全く意に介しません。

まあ、Aさんは、正社員だし「責任、責任」よく言うし、私は漏れが多いわけだから、否定せずにやりたいようにやってもらおうと思い、その行動に違和感を感じつつも経過を見ることにしました。

予想はしていましたが、彼女の仕事ぶりは素晴らしい速さで行われ、仕事のまとめ方は美しく、私は、「偏差値が高いってすごいんだな。」とのんきに思うのでした。

と同時に、この能力の高さを考えた時に今の仕事では、彼女にとって持て余すだろうなと感じられ、もったいないのではないかという思いを持ちました。

 

ところで私は、ずっとこの仕事をしていますが、そろそろ能力的に難しいなと思い始めていました。

辞めるタイミングを考えていた部分もあり、「渡りに船」のような彼女の登場は、私個人としてはありがたいものでした。

さて、私の仕事は着々と彼女のものになっていきました。

いわゆる仕事外しのような様相を呈してきたのでした。

この時点で、管理者Dには5回ほどそういった状況の報告と相談をしておいたのですが、特に対策や指示、面談はありませんでした。

そんなある日、私は高熱で仕事に出ざるを得ない日があり出勤したのですが、その時の私の仕事の手順が、彼女の気に入らなかったようでした。

私は、熱があったことで手順を変えたこと、また相手の都合もあるためその後の処理が当日できないことなどを説明しましたが、彼女は納得しませんでした。

そんな出来事を境に、彼女は豹変したのです。

朝、挨拶しても無視。

何か仕事の問い合わせをしても冷淡。

確かに、通常習うやり方とは違うやり方をしましたが、誤った手順ではありません。

加えて、高熱の私にはそれ以上のパフォーマンスを出すことができませんでした。

それでも、容赦ありませんでした。

そして、彼女は、私を「通常とは違う手順を踏んだ行為」を行った最低最悪な人間として評価したようです。

無視、嫌がらせ、冷淡な対応、他者を使って悪い噂をながすなどの行為をされ続ける日々が始まったのでした。

 

どんな嫌がらせがあったのか。

無視、冷遇。私のバッグの中の手帳を見たり、ロッカーの中を見ていました。

他者を使って私のを辞めさせようと画策したりもしました。

仕事の連絡は、すべて彼女が行うのですが、私が実施したこともすべてAさんが主語の報告内容になりました。

そんな中、やはり一番打撃を受けたのは、他者を使っての社会的制裁行為でした。

会社に行かなくてもよいパートの私と月に4回程度会社に出勤するAさん。

会社に出勤しないことをいいことに、指導者であるCさんや管理者Dさんに私の勤務態度についてあることないこと、大袈裟に、尾ひれ背びれをくっ付けて、身振り手振りを踏まえて大胆にプレゼンしていたようです。

目的は、会社全体の同情と共感を買って私に社会的制裁を加え困らせること。

 

私は、会社に出勤しませんので彼女にとっては好都合だったのでしょう。

会社内で私と直接面識がある人は4人程度です。

会社では、まんまと指導者Cさんの同情と共感を得ることに成功したようです。

1.5か月程度で成功したのではないでしょうか。

指導者Cさんはどのような行動をとったか。

Cさんは、なんと社長宛てに、その大学病院におけるAさんと私の人間関係の悪化についての内容とAさんが可哀そうという主旨の内容証明郵便を送ったようでした。

詳しい内容は知りませんが、私が無視をする、仕事を教えないなど、私からモラルハラスメントを受けているとでも訴えたのではないでしょうか。

だいたいパターンがわかるので、心積もりしておくことはできるのですが、まさか他者を使って私を制裁しようとするなんて...

他人を利用することにためらいがないところにほんとうに衝撃を受けました。

 

この能力、別のところで使えばいいのに…

 

私は、この状況に動揺しましたが、このあとどんな展開になっていくのか、ちょっと見てみたいという好奇心がありました。

 気持ちのいいことではありませんが、私という実態がないところで何が展開されていくのかを知ることは、私を囲む人間関係の真偽を知ることにもなると考えたのでした。

人間の愚かさと温かさを知る絶好の機会だと思ったのです。

なので、この件があってからはより「無抵抗主義」となりました。

私ではない私をAが勝手に作り上げ、そのことに対して誰がどのような言動をするのかを知ることができるなんて、これ以上面白い観察はありません。

ただ一つ気にしたことは、私とAさんの関係によって請け負っている業務に支障を来すことがあってはならないということでした。

なので、私は管理者Dさんには常日頃から、報告・連絡・相談をしていました。

だから、会社内で突如発生した、私へのクレームについて、管理者DさんはAさんに不信の目を向けてくれましたし、病院へ迷惑をかけることのないように対応をしてくれました。

私の周囲を炎上させようと荒らした彼女ですが、結局彼女の思惑通りにはなりませんでした。

そうすると、彼女はそれが気に入らない。

色々嫌味が飛び出します。

人を蔑んだ言葉が出てきます。

「わたしは、こんな場所にいる人間ではない。」「この病院はレベルが低い。」

「レベルが低いので、相手にしていませんが。」「会社も馬鹿ばっかりなんですね」などなど。

これ、クライアントである病院の職員さんや会社であなたの為に内容証明郵便を社長あてに送った指導者に聞かせたいな。

一方で、業務上病院スタッフに対してはすこぶる愛想がいいわけです。

 

その二面性たるや、本気でやっているとしたら異次元存在だな笑と思いつつ私はAさんを観察し続けました。

この、「観察する私」という存在は彼女にとって非常に厄介だったのではないでしょうか。無視されるから、反応しなくなった私。彼女にも初めから一貫した態度の私。

泣くことも、動揺することもなく、ただ「ごめんなさいね。私の出来が悪いから面倒をかけちゃって。」という言葉を時々Aさんに言って謝る私。

でも、しっかり観察続けながら、無抵抗でされるがままの私。

謎すぎると思うんです。こんな私の存在。

 

 

彼女の、ストレスは相当なものだったと思います。

その苛立ちについて、手土産に纏わるエピソードがあります。

時々頂く手土産。「みんなで食べてね。」と言われて頂きます。

今迄は、「〇〇さんから頂きました。」と周知して、テーブルに置いて自由に頂いていました。

ところが、Aさんはとっても興味深い行動をしたのです。

頂いたら、自分の机の引き出しに入れたのです。

そして、そこから一つずつ渡すのでした。

自分に一つ。私に一つ。それ以外は、また引き出しの中へ...

無視、冷淡が始まってからはもっと面白い行動になりました。

全部自分で食べちゃう。

何度か包装紙や化粧箱がごみ箱に入っているのを見て、私は笑ってしまいました。

ちょっと、普通の子じゃないなという確信にしかなりませんでした。

なのに、「責任」とか「〇〇しなければならない。」という言葉をよく使う。

 

 それからもう一つ、興味深い仲間外れエピソードがあります。

私と仲の良い取引先の人の前で、あからさまに私だけランチに誘わないという言動。

面白い。ほかの自社の社員もいる中で、あえて私に声を掛けないという。

社会人であるはずなのに、まして超プライドの高い、道徳心の偽物のマントをしっかり纏っているはずのAさんが、第三者の目がある時にこのような言動を行うという不思議さ。

これはつまり、わたしの尊厳というものを踏みにじっていることになるわけです。

あるいは、私と信頼関係がある人との間を分断したいという思いがあるわけです。

人間としての最も重要な尊厳という部分を切り裂く能力を持っているということになります。

ダークトライアドらしい言動ですね。

一方で、みんなの前でダークトライアドの部分を露呈させてしまいました。

「早く行ってあげな。私は何とも思ってないから早く行きなよ。早く行かないと、私への風当たりが強くなって面倒だからさ。ほら、はやく。」と取引先の人を急かす私。

 

とはいえ、こうして尊厳をナタでぶった切る残虐な人間と常に一緒にいるのがつらくなってきました。

これ以上、観察者・無抵抗主義・傍観者でいることはできないなと思いました。

動悸、めまい、不眠、悪夢、落ち込みが出てきたのです。

一秒でも早く、Aさんから離れること。

それからは、精神科の先生に相談し、会社を休むことにしたのでした。

そして、今では退職しています。

ちょっと驚愕ですが、Aさんのほうが退職が早かった。

私が病休している間に、退職していたのでした。

お互い退職となったわけですが、Aさんは私の痕跡を探しているようです。

私の家庭、仲間、社会的なものをぶった切る可能性が残っています。

私は、もう何の症状もありませんが、私の痕跡を探していることを伝え聞き、背筋が凍りました。

ブログやらSNSで今も時々、さまざまなキーワードを入力して私を探しているのではないかと思います。

なので、とりあえず、今まで3年近く書いた記事をすべて削除して閉鎖して逃げて参りました。

これ以上の彼女の介入があった場合は、警察へ相談します。

既に連絡しているのですけどね。

 

彼女にとって、私は彼女に服従もしないし、崇拝しないし、それでいて不可解な言動の人間だったのではないかと思います。

だからといって油断できない年月をこれから私は過ごさなければなりません。

 

最後にもう一つ、エピソードを。

私には、数年かけて築いたスタッフさんや医師との関係性があります。

今回のことをとても心配してくれた医師がいます。

その方は、Aさんではなく私にいつも声を掛けてくれました。

Aさんはこの方に好意を持っていたようです。

挨拶すると顔を赤らめていることがありました。

ある日、Aさんも私も出勤の途中の通路で、Aさんが私の前を歩いていました。

そこに反対側からから先生が歩いて来ました。

彼女は挨拶をし、「先生…」と言いながら後ろを振り返りました。

と、先生は、後ろを歩いてきた私に「どう?大丈夫?無理しないでね。」と微笑みながら声を掛けたのです。Aさんのことは眼中にない様子で。

あの時の彼女の表情を私は今でも忘れません。

だから、わたしは彼女にとってまだぶった切られる要素があるのです。

だから、Aさんが再びわたしを見出した時に、私の人生を滅茶苦茶にしようとするでしょう。

油断はできないのです。

 

私の体験、参考になりましたでしょうか。

まるっと真似はしないほうがいいと思います。

ただ、いろいろなところで書かれているように、被害に遭う前にピンときたら、スルーして距離を置くことをお勧めします

この記録が、私と同じような環境でひどい思いをしている誰かの何らかのヒントになるといいなと思います。

 

おまけ。

今回のことで、私はもともと思っていた退職を早めることになったのですが、Aさんが会社内に広めた風評のおかげで管理職会議では、私のパート契約は年度内で解消という決定がなされました。

おかげさまで会社都合退職で退職させていただきました。

このように、他人の人生の設計図を変更させるような影響力をもつということ。

このことを、ダークトライアドな人物がいる会社の管理職たちはよく理解して仕事をさせたほうが良いと思います。

ダークトライアドな人物に悩まされている皆さん、無事が一番です。

自分の周波数を下げることなく、速やかに脱出して、自分らしく暮らせるようにととのえてください。

ただ、知り合っただけの人間に引き摺られて自分の人生を台無しにしないように共にひっそりしぶとくすみやかに安心して暮らすことを考えて行動していきましょう。

 

 

 

某ブログから引っ越してきたワケ

こんにちは、ちがやです。

 

昨日は、真冬の寒さでした。

桜もじっと蕾のまま、寒さに耐えて咲くタイミングを待っています。

今年は、なんだかあまり暖かい日もなく3月上旬の延長のような気候でここまで来たような気がします。

何年かに一度くらい、4月の今頃でも雪が降ることがあります。

4月の上旬は、米つくりの始まりの苗代(お米の種を蒔く)作りをして、芽が出るようにハウスの温度管理に気を遣う時期でもあります。

この時期に雪が降ると深夜、父がコタツに待機して、うとうとしながらも、時々ハウスの中の温度を確認したり、ハウスの屋根に積もった雪を下ろしたりしていました。

桜の開花にしても、稲作にしても、人がコントロールできることってわずかで、その森羅万象の中で暮らしているのだと実感する時期でもあります。

 

さて、こんな日々ですが、

今日は、Hatena Blogさんに引っ越してきたワケを書いておきたいと思います。

 

が、少々嫌な内容を含みますので、スルーしていただいてかまいません。

また、長くなるかもしれないので何回かに分けることも考えています。

 

この話は、職場でのハラスメントや嫌がらせ、そこから逃げた後も私を探しまくって、嫌がらせをし続けようとする「ある人」との出来事を記します。

「ある人」は、わたしのことを未だに探していると思うので、出来事についてはぼやかしたことしか書けませんが、もし同じような出来事に遭遇している方にとってお役に立つ部分があったらよいなと思っています。

このブログも見つけられたら、クローズするかもしれませんが、こんな人物との出来事はめったにないと思うので、記録として残しておきたいと思います。

 

結論としては、

「ダークトライアド」

と一緒に働いた記録です。

 

詳細は、こちらをご覧ください。

最も邪悪な人格特性ダークトライアドとは?サイコパシー+マキャベリズム+ナルシシズム+の3つの反社会的人格をあわせもつ

 

【中野信子】あなたの周りにいるサイコパスの見分け方

 

≪ダークトライアド≫

心理学においてダークトライアド とは、自己愛傾向(Narcissism)、マキャベリズム(Machiavellianism)、サイコパシー(Psychopathy) の3つのパーソナリティ特性の総称である。「ダーク」と付くのは、これらの特性を持つ人々が悪の気質を持つことを意味する。

応用心理学においてダークトライアドの研究は、特に法執行、臨床心理学、経営管理などの分野でなされている。この3つの特性が高い人々は、犯罪を起こし、社会的苦痛を引き起こし、組織にとって重大な問題を引き起こす恐れがあり、それは特にリーダーシップポジションに置かれたときは顕著となる。

ダークトライアドの各要素は概念的には区別されるものであるが、経験的な証拠ではそれらの重なりが示されている。彼らは不自然な対人的なスタイルに関連づけられる。

  • ナルシシズムは、誇大性、自尊心、エゴージズム、共感の欠如が特徴とされる。
  • マキャベリ主義は、対人操作、搾取、道徳観に対する冷笑的無視、自己中心や欺瞞を特徴とする[11]
  • サイコパスは、継続的な反社会的行動、衝動性、利己主義、無反省を特徴とする。

グラスゴーカレドニアン大学における因子分析によれば、五大パーソナリティ因子モデルにおいてはagreeablenessの低さが最もダークトライアドと関連性があり、またneuroticismおよび低いconscientiousnessは一部のダークトライアドの人々と関連性があった。

ちなみに、ダークテトラッドというものもあって、ナルシシズムマキャヴェリズム、サイコパシーというダークトライアドの3つの特性に加えて、サディズムの人格特性を加えたものを言うそうです。

出典:Wikipedia

 

今回、このダークトライアドな人物「ある人」をAさんとします。

その他、中立的で冷静であっけらかんとしたBさん、AさんのOJT指導者Cさん、私たちのグループの管理者のDさん、Hさんがいます。

 

Aさんは、中途入社してきました。

大変優秀な大学を卒業。愛らしい顔立ちをしています。

立ち居振る舞いは、常に堂々としていて、優秀さが滲み出るような言葉使いと抑揚の効いた表現、誠実そうに相手を見つめ返す表情など、第一印象がすでに超絶好印象でした。

私たちの職場は、本社から遠く地方にあります。

時々、管理者のDさんの訪問があります。

 

わたしは、家庭持ちのフルタイムパートです。

この仕事について20年になります。

この会社には5年以上在籍していました。

 

私は、もうアラフィフなのでいろんな方にお会い、また世の中色々な方がいて、驚くような言動の方々にも出会ってきました。

距離を取ったり、上司に相談したり、時にはやむを得ず退職したりして対策を講じてきました。

そんな経験の連続を通して私が体得したことは、来るもの拒まず。去る者追わずの心と、相手に期待しないし失望しないこと、信用もしないけど不信も抱かないこと。それから、伝えたいことは言うが争わないこと、言い訳は外に求めないこと、無抵抗であることなどでした。その姿勢は一貫していますが、他者からは愚鈍に見えるかもしれません。

特に最後の「無抵抗であること」は、何らかの出来事があったときに、瞬間感情が沸き上がるのですが、そのあと観察者の視点で物事を見ることができ、その方や起きた出来事から本質が見えてくるので、大変重宝する尺度です。

 

話を元に戻します。

私が通勤する職場は、業務委受託契約を結んだ地方の大学病院です。

パートということもあり、私は会社に出勤することはほとんどありません。

Aさんは、正社員ですので本人が希望した出勤も含めて5回ほど会社に出勤していました。それ以外の日は、私と二人きりの病院勤務です。

仕事は、病院内のプロジェクトを動かすことですが、Bさんが病休で長期休暇を取っていたので、私が一人で実務を担当していました。

今までは、Bさんとよく話し合って、合意形成をしながら仕事を進めていきました。

その前に在職していた方とも、同じように話し合いながら合意形成を大切に仕事を進めていきました。

上司DからもAさんとの仕事の進め方について「今迄みたいに進めてもらえればいいから。いつも、問題なくチームプレー出来ていて、まとめ役になってくれるから助かる。」というお墨付きをもらっていました。

なので、相手の立場を考えながら進めていこうと思っていたのですが....

Aさんの紹介として、第一印象が非常に良い才女と書きましたが、わたしはありとあらゆる人を見て出来事を体験してきたので、その部分についても同じように様子を見ていました。

つまり、「非常に印象の良い才女」という文字としてのみの記憶に留め、私自身の中から、彼女を必要以上に感情的に見るものさしを捨てます。称賛したり、自分を卑下するような憧憬の感情や私が年上だから....という立場に立った判断は捨てて、彼女の「今」「事実」に焦点を当てて接していました。

これは、今までの関わってきた方々に対してもそのように接していることなので、私にとっては特別なことでもないのですが。

他者を排除しようとする感情というのは、どんな人間にでも少なからずあるということは、経験上認識しています。

そのうえで、他者と良好な関係が構築できるように考えるのが良いと思うので、自分の中のネガティブな感情というのは、沸き上がってきたら、凍らせて「文字」にしてそれ以上の意味を持たせないように処理するのです。

 

それが、私の他者と接するときの接し方であり、その方法は他者にも自分にも負担をかけない対応として築いたものでした。

 

長くなりそうなので、今日はここまで。

 

 

引きこもり主婦が話題ですが、それが何か?

こんにちは、ちがやです。

 

今日はお天気も悪くて、那須では3℃の表示!

冬に逆戻り。

桜の花も、つぼみを固くして曇り空の下、咲くその時を耐えて待っているようです。

 

今日は、初めて家族でカラオケに行ってきました。

子供たちが案外最近の歌を知っているので新鮮でした。

小学生とはいえ、もうこんなに歌えるのね。

娘が、お決まりの「アナと雪の女王」の「ありのままで」を丁寧に歌っている姿にちょっと感動。

 

実は私、1月末に仕事を辞めました。

そこから失業保険をもらいながらではありますが、毎日が主婦な生活をするのが初めてで。

今は春休み中なので、毎日子供たちと一緒にいるわけですが、それがとっても心地良くて、変な表現かもしれませんが、気持ちがいいのです。

気持ちいい~

という爽快感なのです。

もちろん、子供にイライラすることもありますが、全体的に日々気持ちがよいのです。

この前頭葉がスッキリする気持ち良さは何なんだろう....

と思っているのですが、

それは、こんなことがあったからでした....

 

私の無意識のところに「もう少し家のことをしたいな。」という思いがありました。

でも、二人目出産後からフルタイムで仕事をしている自分は、そんな私を捨てきれなかったのでした。

理由は色々あるのですが、フルタイムで仕事をすることで得られるお金、子育ての嫌なところから目を背けられる安心感、近くに住む両親が子供を見てくれることでの甘え、仕事先で私に信頼を寄せてくれる方々との心地良い関係。

そういったものが、私の心の大半を占めいてました。

だから、退職したいなんて思ってもいませんでした。

 

でも....

それは表面上のこと。

心の隙間には時々、「もう少し家のことをしたいな。」という思いが沁みだしてきます。そして、それはバランスを崩し正体を現し始めました。

 

家が、片付けられなくなったのです。

そして、仕事の処理能力が低下しました。

もともと、産後鬱のような状態だったのですがそのまま仕事を続け、週20時間以上の残業も続けていた時期があり、その頃から仕事の処理能力が遅くなっているようには感じていましたが、立ち止まることはしませんでした。

 

そんな中での、クライアントからのクレーム。

その後に続く、雪崩のような人間関係の悪化。

極めつけは、会社はその人間関係を修正するような協力はしてくれなかったこと。

つまりは、もう用済みになったのでした。

 

40代。

仕事の能力低下。

人間不信。

私は、完全に引きこもり主婦の入り口に立っています。

 

でも、上述したように

とっても爽快な気持ちなのです。

 

多分、今。

わたしは自分自身が完全に一致している状態なんだと思います。

 

気にするのは、こどもにかかるお金のことであり、チクチク言われないかと思いながらお金を使うのがストレスですが、そのことを上回るくらいの爽快さ。

 

今日は、カラオケに行って、子供や夫の歌う姿を見られることを、心から幸せだと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事道具

こんにちは、ちがやです。

私の仕事は、医療関係です。

道具がとても大切で、特に聴診器は大切に使っていました。

 

元々、家には農業用の道具や祖父が大工をしていた時の古い道具が納屋に残されています。

農家の方は、大抵道具がきれいに整理されていて、不具合があれば修理して、大切に使います。

道具を、田畑の泥がついたまましまうことは恥であり、農との向き合い方を指摘されます。

道具を大切に扱うことは、洋の東西を問わず、専門職としての姿勢の表れでもあるのだと思います。

鍬、鎌、マンノウ、スコップ、鋸などなど....

使われて、きれいにされて、元の位置にそっと置かれる道具の佇まいを見るのがとても好きです。

満足げに土のにおいのする薄暗い納屋で、静かに体を休める道具たち。

その声なき声を、納屋にじゃがいもを取りに行ったときに聞くわたし。

耳を澄まして、道具のそばを通ると、農具たちの寝息が聞こえてくるかのよう。

私も道具を大切に使いたいなとあこがれをもって見上げるのです。

ちがやって何?

 


こんにちは、ちがやです。

「ちがや」は植物の名前です。

初夏のあぜ道や道路の脇に生えているいわゆる雑草です。

 

チガヤ - Wikipedia

 

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この草が、群になって初夏のすがすがしい風に吹かれ、銀色の小さな狐のしっぽのように穂をなびかせている様がたまらなく好きです。

初夏の、いろいろな草花の香りが混じったさわやかな風と共になびく穂を見ると、飄々としているのに愛らしく、一瞬の命を切り取った存在に、自分の生き方を重ねたりするのです。

あんな風に生きていきたいな、と。

 

それで、「ちがやのお茶の時間」にしました。

ナチュラル オーガニックなことが好き

 こんにちは、ちがやです。

我が家は、兼業農家でした。

私で4代目でしたが、私も夫も就いている仕事が忙しくて土日に手伝っても間に合いません。

父は体が弱いため、3年前から大規模農家さんへ田んぼを貸して、稲作をお願いすることにしました。

たった4代とは言え、続けてきたことを委ねる結果となったことを申し訳なく思っています。

20年の契約です。

その契約が更新されるのかどうかわかりませんが、私は60代になっていることでしょう。

20年後の世の中、どんな農業形態となっていて、曾祖父、祖父、父が守ってきた土地にどんな作物が植えられているのでしょうか。

少なくとも、大切に作り守られてきた農作物が、不自然なものではないことを見守りたいと思っています。

 

わたしは生まれてからずっと、農業を通じ自然や人の生き方に心を寄せそのような環境に生きてきました。

 

そこが私の原点であり、ナチュラルやオーガニックな暮らしや考えの礎となっています。